火の文化を守る

CULTURE

火の文化、
受け継いでいますか?

誰かが言っている「火は危ない」と。それは本当だろうか。

小さい頃、そこにはいつも「火」があった。庭でたき火をする祖父。仏壇にろうそくを灯す祖母。母はガスコンロの使い方と火加減を教えてくれた。風呂釜の火熾しと薪のくべ方は父から教わった。マッチは必需品でそこら中にあり、「火」は生活のあちらこちらに息づいていた。


今や、電気調理器具やエアコンの普及で、家庭から火が消えつつある。安心安全な社会を目指すならば、火を危険なものと決めつけて商品を売る手法に誰も異論は唱えない。その代償として、子どもたちは火に接する機会を奪われてしまった。


人間と動物の違いは「二足歩行をすること」、「道具を使いこなすこと」そして「火を使うこと」だというが、そんな太古の話をせずとも、私たちの心は火がもたらしてくれるものを、知っている。燃え上がるキャンプファイヤーの炎が大勢の心をひとつにしてくれたこと。


冬の侘しさを暖炉の炎が癒してくれたこと。燃え盛る鬼火に一年の平穏を感謝したこと。揺らめくキャンドルの灯火に永遠の愛を誓ったこと。これらの経験は誰もが持っているものだろう。火はただの道具ではない。深い安心感を与えてくれると同時に、自分の中の原始的な何かを目覚めさせてくれるものだ。「火育」の本当の意義はここにあるのではないかと思う。今子供たちに伝えるべきことは、「火は見えるからこそ安全であり、安心なのだ」ということではないだろうか。


最近、火が熱いものだと知らず、触ってしまう子供たちが増えているそうだ。そのせいか教育現場では「火育」が注目されているという。火育とは、安全な火の熾し方や扱い方、火を使った調理を体験することで、豊かな人間性を育むというもの。これまで家庭で身に付けていたものを学校で教育しなければいけない寂しさはあるとしても、大きな意味はあるだろう。


祖父がたき火の中から取り出してくれたホクホクの焼きいもの味。
子どもの頃に知った火の温もりは、ずっと体の芯を温めてくれる。

※ 掲載元:季刊誌-樂-より(2010年春号)